望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

赤いシャツと白い靴

 「他人の目を気にするのは、自己規制だったんだ」と友人は言う。学生の頃は原色を好み、派手な色の組み合わせの服装が多かった友人は、会社勤めを始め、家庭を持った後、すっかり地味な色合いの服装で休日も過ごすようになった。

 そのころの服装選びは奥さんに任せっきりだったそうで、「仕事に追われて、休みの日に何を着るかなんて、どうでもよかった」と友人。それから20数年、子供たちが独立し、子会社に転籍した友人は時間的な余裕が出てきて、休日を活用することに意識が向いてきた。

 同時に奥さんは趣味のサークル仲間とのつき合いが忙しく、友人の世話を放棄し始めたそうだ。休日に着る服を新調したいと友人が言うと奥さんは「自分で選んで」と資金を渡してくれたそうだ。

 友人は近くの量販店に出かけた。自分で選ぶのは久しぶりで、つい地味な色合いの服を手にとったが、「待てよ」と迷った。若い頃の感覚が蘇り、原色それも明るい原色の服が魅力的に見えてきた。が、迷った。「いい歳の俺が、こんな色を着ていると、見た人から、どう思われるのか」と。

 以前にも、休日に履くスニーカーを自分で選ぶ時に友人は、地味な色ではなく、真っ白のスニーカーに惹かれたが、目立ちすぎるのではないかと躊躇し、黒を選んだ。だが、白いスニーカーを履いている人を見かけるたびに、白を選んでもよかったのではないかとグズグズした思いがよぎったと友人。

 迷った時には何が最善か最適かをよく考えて判断しろと言われるが、友人は「迷った時には、やりたいことをやれ」と思うようになっていた。何が最善か最適か、簡単には見極めることができないから迷うのだと長年の経験から友人は考え、何が最善か最適か考えても明確な解は出にくいと思うようになっていた。

 真っ赤なシャツを友人は選び、そのシャツを着て次の休日に外出した。目立ちすぎていると友人は緊張しながらも、俺が着たいのはこの色なんだと内心で繰り返していたそうだ。友人を見かけたサークル仲間が「若々しい」と言っていたと奥さんから聞かされた友人は、着たい服を着た休日に満足している。