望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

自由か平等か


 1989年といえば、中国人民解放軍が、北京の天安門広場に集まった学生・市民らを装甲車・戦車で武力排除して多数の死傷者を出し、中国共産党の1党独裁体制に内外から疑問符がつけられたのが6月。東西ベルリン市民によって「ベルリンの壁」が破壊されたのが11月。ルーマニアチャウシェスク独裁体制が崩壊し、チャウシェスクが銃殺されたのが12月。



 世界史の年表に太字で書かれるべき大きな出来事が相次いだ1989年は、共産主義が政治理念としては現実性を持たず、共産主義国家では労働者の解放も平等も実現せず、独裁する共産党が、自由を求める人々を抑圧する体制が共産主義国家であったことを世界に曝し、共産主義に“引導”が渡された年でもあった。



 共産党の独裁を続けた中国は、経済だけは、国家による統制下にある市場経済に移行し、目覚ましい成長を遂げつつ、共産党独裁を正当化するために政治的に共産主義をなお標榜している。でも、国内で凄まじい経済格差が生じているといい、労働者階級の解放にも平等にも失敗した。



 世界から共産主義国家が実質的に消えて、世界は市場経済に覆われ、マネーが国境に関係なく世界を動き回るようになった。経済格差が拡大しているのは中国だけではなく、程度の差こそあれ、各国でも経済格差は拡大している。一方で、非正規雇用の拡大など世界で労働者の地位は不安定化している。



 経済的に格差が少ないままで皆が豊かになり、誰でも自由に生きることができる社会は理想なのだろうが、共産主義国家が消えてから、世界では経済的な平等が軽視され、「大金持ちになれるんだぞ……“頑張った”人だけだが」といった種類の自由を賞賛する風潮が強まった。企業内で労働者は目先に成果主義をぶら下げられ、それぞれに頑張るしかない。



 共産主義国家が消えたことと、世界的に経済的な平等が軽視されるようになり、格差が拡大したこととの相関関係ははっきりしない。だが、賃金の総額を抑えつつ、経営陣への報酬を大幅に増やしたり、内部留保を増やすなどの企業行動を見るにつけ、共産主義国家が健在で、世界の労働運動に強い影響力を持っていたならば、経済的な平等がもっと重視されていたのではないかという気がする。



 とはいえ、共産主義国家は崩壊し、これこそ解放だと人々は喜んだ。経済的な平等と自由とを同時に手にすることができず、結果的に自由を選んだ形だともいえる。その自由とは、東ドイツから西ドイツへ移住することだったり、ルーマニアから英などへ移民することだったりするが。