望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

革命第1世代

 1枚の写真に、もっとも多い人数が写っているのは、何かの記念日に中国・北京の天安門広場に集まった人々を写したものだという。南北880m×東西500mの天安門広場は最大50万人を収容でき、接する長安街を含めると100万人にもなるという。その広い天安門広場に、民主化を求めて中国各地から学生や市民ら10万人が集まったのが1989年6月。



 集まった人々は6月4日に人民解放軍により、広場から強制的に“排除”された。その武力鎮圧の時に多数が死傷したことは確かだが、死者数だけをみても、実態はいまなお定かではない。中国共産党の発表では「事件による死者は319人」ということだが、客観的な検証を経た数字ではないし、もっと多いはずという疑いが国際的には定着している。



 ただ、どれだけの人々が死んだのかとなると、もう分からないというのが現実だ。数百人から、2000~3000人、数万人までと推定される死者数は様々。天安門広場では死者は出なかったという見方もあれば、広場から人々を追い出した後に人民解放軍が死体を集めて焼却したとの見方もある。天安門広場の周辺、さらに北京市内で人民解放軍がどんな行動をしていたのかも明らかになっておらず、6月4日の死者数は歴史の闇の中に消えたままだ。



 当時の中国共産党で、趙紫陽総書記ら改革派は「愛国的だ」と学生らを評するなど理解を示す態度だったが、李鵬首相ら保守強硬派との対立に敗れ、北京に戒厳令が布告された。だが、大規模な抗議デモが行われるなど中国共産党の“脅し”に屈しない姿勢を学生・市民らは続け、人民解放軍の武力鎮圧へと至った。



 同じ中国人(習近平流にいうと、中華民族か)を人民解放軍が虐殺した。たとえ公式発表の319人という数字でさえ、そんな多数の人間が死んではならないことは明らかだ。ただの1人であっても、不当に無法に殺されてはならないのだ。なぜ、中国共産党の保守強硬派は、同じ中国人を殺すことに踏み切ったのか。



 よく聞く解説が「革命体制を守るため」というものだ。革命体制とは、中国共産党の1党独裁体制のことである。革命体制は、国共内戦共産党軍が勝利したことで成立した。しかし、内戦では共産党軍でも多数の人間が死んだ。内戦を経験したいわゆる革命第1、第2世代が、戦争で倒れた同志の死によって革命体制が成立したと思うのも無理からぬ面がある。それらの死は中国版の「英霊」なのかもしれず、英霊の死により革命体制は築かれたと、英霊は現代政治にも影を落とす。



 民主化と、中国共産党の1党独裁体制は相容れない。内戦を経験し、同志の死を見てきた革命第1、第2世代の長老の影響力が大きく作用し、1989年に「革命体制を守るためには流血も辞さず」との決定に導かれたとすると、中国における民主化の困難さが推察できる。



 革命体制を守るためには同じ中国人であっても殺すというのは、“正しい”革命思想かもしれないが、内戦の経験者は少なくなり、やがて、いなくなる。内戦を経験していない革命第5世代の習近平らは、「英霊との約束」に実感は乏しかろう。そこで、革命体制による既得権益を守るためには同じ中華民族の流血も辞さないと変化してきたように見える。これはこれで、厄介そうだ。