望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

科学的な装い

 それほど親しくない人や初対面の人と一緒に時間をつぶさなければならなくなった時に、持ち出す無難な話題のトップは天候に関することだろう。暑いとか寒いとか、いい天気だとか雨が続くとか、台風が来るそうだとかゲリラ豪雨があったとか、見たまま感じたまま聞いたままを話していれば、座持ちがするのだから便利だ。



 「暑い日が続きますな」などと言われて、「いや、この地域の平均気温からみると、今年は少し低いほうですよ」などとマトモに反応する人は稀で、大方の人は、天候の話には適当に相づちを打って聞き流す。天候の話は互いに適度な距離感を保ちつつ、共感を保つためには最適な話題だ。



 最近、天候に関する話題のシメの言葉で「これも温暖化の影響ですかね」「異常気象なんでしょうか」「この先、どうなるんでしょうねえ」などと嘆くような調子になったり、不安がったりしてみせるのが流行のようだ。温暖化や異常気象などの言葉を持ち出して、無難な天候に関する話に“知的装い”をまぶしてみせる。



 天候については誰もが実感を持って話すことができるが、実感がいつも「正しい」とは限らない。昨年の今頃はどんな気候だったかを正確に覚えている人は少ないし、平年と変わらない暑い夏でも人は「今年の夏は特に暑い」なんて思ってしまう。そこに、「地球は温暖化している」などという言説を聞かされると、「そうか、温暖化してるのか。だから、今年の夏は特に暑いんだ」などと思ったりする。



 天候を話題にする時に、データを検証する人はまずいない。だから、温暖化や異常気象について「専門家が言うンだから、本当なんだろう」と大半の人は受け止め、「今年の夏は暑い。温暖化だ」とか「今度来る台風は、温暖化だから、大型だ」とか「集中豪雨が増えたのは異常気象だからだ」などと、それらの言葉を都合よく使う。



 温暖化や異常気象とは科学的な見解の一つだが、素人が厳密に定義を考えるはずもなく、それらは、実感を支えるための好都合で感覚的・情緒的な言葉に変質している。しかし多くの人は、情緒的な物言いをしていることに無自覚で、温暖化や異常気象という言葉を持ち出すことで、科学的な装いをまとったかのように錯覚する。実感と科学的装いに支えられるのだから、素人は温暖化談義を好むのかもしれない。



 夏になれば暑さを楽しみ、冬になれば寒さを楽しむ……こういうふうに達観できる人は少ない。だから、天候はいつまでも無難な話題として人々に愛されるのかもしれない。が、天気相手にどうこう言ってみたって、人間に都合がいいようにならないのは大昔から変わらない。猛暑や集中豪雨、台風などを納得するためにも、温暖化や異常気象という言葉は便利だろう。