望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

聖なる存在


 寒山拾得(かんざんじっとく)とは寒山と拾得のことで、「2人とも詩禅一如の生活を送り、その挙動すこぶる奇矯であったという。後世、禅画の好題材となったほか、文芸・芸能の材ともなった」(大辞林)。寒山は「中国、唐代の伝説的な詩僧。拾得とともに天台山国清寺に住し、その詩と称されるものが伝えられる」、拾得は「中国、唐代の伝説的な僧。天台山国清寺の豊干に師事したという。脱俗の風格をもって知られた」とある。



 名が伝わっているのだから、この2人は高名な僧だったように見えるが、僧としては位は低かったらしい。拾得は豊干禅師に拾われて国清寺の厨房で働き、寒山は拾得から残飯を得ていたという。そんな2人がなぜ後世にまで伝えられたかというと、ボロをまとい、風変わりな振る舞いだったことが豊干禅師の伝記に記されたから。



 寒山や拾得は世間の慣習などにとらわれず、好きなように振る舞ったのだろうが、それができたのは、食を乞うて生きていただけだったからか。家も持たず、家庭も持たず、何の欲も持たなかったのなら、思いのままに超俗的に生きることもできただろう。我が身一つと思いなしたなら、脱俗に生きてみせるのも割に容易だったかもしれない。



 そんな人物なら、多くはないものの珍しくもなさそうだが、2人の名が残ったのは、聖なる存在との見立てがあったから。豊干を釈迦、寒山文殊、拾得を普賢の化身とした。森鴎外の『寒山拾得』では豊干に「国清寺に拾得と申すものがおります。実は普賢でございます。それから寺の西の方に、寒厳という石窟があって、そこに寒山と申すものがおります。実は文殊でございます」と言わせている。



 みすぼらしく貧しく生きていると傍からは見える人物が超俗的な存在に見立てられるのは、その生き方から、俗世間とは別の価値があると思わせるものが漂う時だろう。財産も名誉も人の縁も、この世限りのもので、永遠に続く価値だとは誰も思っていないから、超俗的に好きなように振る舞う人物は特別な存在とも映る。



 一方で、超俗的に振る舞ったりはしないが、貧しく懸命に生きている人を聖なる存在とする見方がある。水上勉の『はなれ瞽女おりん』では、1人で生きていかざるを得なくなった離れ瞽女のおりんに向かって、自身も盲目の寒村の婆さまが「人間は千差万様の顔かたち、心かたちをして生きておりまするけれど、み仏は、みなその躯に同じ一つの仏性をあたえられ、うちなる仏に心気づかずして、極道する者は極道をなし、働くものは働きして生きておりまするが、人間世界はみな平等。他人に陽があたる時は、わが身に陰がき、他人に陰くれば、我が身に陽があたるは家の表と裏をみてもわかる道理。けれども、六十六部、瞽女さまだけは、陽があたれば、その陽を他人にあずけられ、年ぢゅう陰の地を暗い苦を背負うてひたすら旅なさる。これみな、おららの罪業、諸悪にみちた黒い躯の、悪の血をひき吸うて下さるみ仏でなくて何でござりましょう」と言う。



 婆さまは「おまんを仏と思うて手をあわせますぞ」と瞽女を拝んだ。貧しく苦しく生きる人にとって、地を這いながら懸命に生きる存在が尊く見えることもあるのだろう。他人を思いやる心があり、他人を見つめることができるなら、この世に聖なる存在は珍しくはなく、あちらこちらにも存在するのかもしれない。そうした存在に誰もが、気づくことができる……ものではあるまいが。