望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

ギャンブル必勝法

 次に来る自動車のナンバーや列車番号の奇数偶数、どこかを通過する次の人の性別など日常の中にも賭けの対象は無数にある。結果をコントロールできず、偶然性に任されている事象は大半が賭けの対象になる。

 そうした賭けはゲーム(遊び)としては容認されるが、換金が伴えば違法になる。日本で換金が合法とされる賭博は競馬や競艇、競輪、オートレース公営競技と宝くじ、Totoだけだ。パチンコは事実上の賭博だが、換金を別店舗化することで存続を許されている。

 次に来る自動車のナンバーや列車番号の奇数偶数、どこかを通過する次の人の性別などを賭けの対象にする時、必勝法はある。それは事前に奇数偶数や性別を知ることであるが、そのための労力などを勘案すると現実性がない必勝法だ。

 換金を伴う賭けにも必勝法を匂わせる主張がある。公営競技には予想紙がつきもので、多くのスポーツ紙にも予想が載っている。書店にはロトなど宝くじの予想誌が並んでいる。それらの予想の当たる確率がどれほどかは知らないが、消えてなくならないのだから相応の成果?はあるのだろう。

 合法の賭博における必勝法も、事前に結果を知ることだ。だが、事前に結果を知ることは、未来を予知する能力が人間に備わっていなければ不可能だ。事前に結果を知るためには、先に結果を決めてレースや抽選を行うしかない。それは仕組まれたレースや抽選であり、八百長である(そうしたレースや抽選は存在しない前提で行われている)。

 レースや抽選の結果に何らかの決まったパターンがあるなら、必勝法は存在する。一定の周期で特定の数字が現れたり、何かの前兆を伴って特定の数字が現れたりするなら予測は可能だ。だが、何らかのパターンがあるかのように偶然に見えることもあり、偶然なのか法則性があるのか区別することは困難だろう。

 法則性があるなら必勝法は存在する。必勝法があるなら、予想紙や予想誌をつくって売って利益を得るよりも、その費用で馬券や宝くじなどを買って金を得たほうが、はるかに儲かるだろう。予想紙や予想誌が存在し続けていることは、必勝法が存在しないことを示す。これは、法則がないところに法則を見つけようとする遊びでもある。