望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

テロリズムの定義

  ある暴力行為が、犯罪行為なのか、政治的または宗教的な目的を達成するための行為なのか、圧政などに対する抵抗運動なのか、紛らわしいことがある。非正規軍による軍事行動の一環だと主張されることもある。判断するためには、その暴力行為を行った意図を分析する必要があるが、暴力行為を憎むあまり、情緒的な解釈が先行することは珍しくない。

 暴力を向けられる対象が国家であったり政府関係者らであったりする場合は、時にはテロリズムとされ、時には抵抗運動とされる。対象が市民である暴力行為は、多くが犯罪行為だろうが、時にはテロリズムとされる。テロリズムは、もともと権力による暴力であり、それへの対抗手段でもあったのだが、いつしか市民を対象に恐怖を煽るものとなった。

 暴力団員や反グレなどの暴力行為は、市民に向けられたとしてもテロリズムとは見なされず、犯罪行為とされる。外国での大規模な麻薬組織による市民への暴力もテロとは見なされない。経済的利益を目的とする暴力行為は一般に犯罪行為とされ、テロリズムとは見なされない。ただし、テロリズム経済的利益をも目的とする場合もある。

 暴力団イデオロギー集団なら「堅気の衆には迷惑はかけない」とか「人民には迷惑をかけない」など市民を暴力の対象にしない建前があったかもしれないが、現在のテロリズムは市民を狙う。暴力によって社会に恐怖を掻き立て、国家に何かを強要しようとしたりすることが目的だからだ。

 だから、国家は「テロリズムには屈しない」と言って強硬になる。米国政府は「テロリズムとは、民間人を脅迫・威圧して政府の行動等へ影響を与えること」と定義するので、ある暴力行為をテロリズムと決めつけたなら、同時にそれは国家権力の障害物と見なされ、交渉における妥協の道は閉ざされる。テロに屈しないと言った時点で、その先は暴力の応酬になる。

 テロリズムという暴力行為には目的がある。その目的は、手段である暴力行為を正当化するために、飾り立てられ、時には絶対化されたりする。目的があって手段が導き出されたのではなく、手段を正当化するために崇高な目的を掲げることもある。目的が手段を正当化するという考え方は、自己正当化にしばしば利用される。

 テロリズムによる暴力行為は、犯罪行為や軍事行為と重複することもあるので、ある暴力行為をテロリズムとすることも、犯罪行為とすることもできる。立場により判断が分かれることは珍しくない。ある国では愛国者とされる人物が、他国ではテロリストと見なされることは珍しくない。国家の利害が絡んだりもするので、国際的なテロリズムの定義は難しい。