望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

未来のことは確率で考える

 8月になると日本のマスメディアでは戦争をテーマにした番組や記事が増える。戦争といっても、現在進行中のシリアなどでの内戦のことではなく、1945年に日本が敗戦を迎えた戦争のことに限られる。日本人が体験した戦争でどんなに苦しんだかという被害者感情に訴えながら、日本も悪かったんだと加害者責任をまぶして、番組や記事を仕立て上げる。

 そんなに戦争に関心があるなら、日本の敗戦後も間断なく世界のどこかで戦争は起こり続けていたのだから、戦争の番組や記事が年中あふれていてもいいはずだが……日本ではほぼ8月と12月に限られる。つまり、日本人が直接関わった戦争だけが対象であり、日本人の戦争体験だけが「伝えるべき」ものと見なされているかのようだ。

 自国民・自民族が関わった戦争の記憶を伝えようとするのは当然の行為だともいえようが、被害者感情と加害者責任だけで戦争を見ると、歪みが生じることもある。どんなに戦争の悲惨さを言い立て、加害者としての贖罪を示したとしても、戦争はなくならないという現実。悲惨で無意味な行為である戦争が人類の歴史からなくならないという現実が見えなくなる。

 世界全ての国の人々や民族が、自分たちだけは戦争に巻き込まれたくないと決意し、努力するなら、結果として世界から戦争は根絶される……のであれば理想的だが、いつも世界のどこかで戦争は起きている。

 日本だけが、日本人だけが巻き込まれなければいいと考えるなら、日本人が経験した戦争だけを回顧し、反省して、日本人が戦争に関わることへの嫌悪感を高め続けることは効果があるかもしれない。そうした嫌悪感に支えられて、軍事絡みの法案で世論が割れたりすると、例えば「戦争に巻き込まれる」「徴兵制で引っ張られる」などの拒否感を強調する人も現れる。

 だが、そうした感情が先立つと、“正しく”怖がることができにくくなったりする。浮き足立ってしまうと、冷静に判断をしているつもりでも、情緒に流され、理性的な判断が阻害されることもある。人々の感情の爆発が大規模な行動となって現れたりすると、政治に影響を及ぼすこともできようが、感情の爆発が必ずしも良好な結果をもたらすものでもない。

 「戦争に巻き込まれる」「徴兵される」などの、仮定の未来から感じる不安の感情は現実にある嫌悪感や拒否感を増大させる。不安を煽って誘導することは、プロパガンダの基本的手法だ。だが、対処法はある。仮定の未来に不安を感じた時には、それが起きる確率を考えるのだ。航空機で事故に遭う確率は、交通事故に遭う確率より遥かに低いなどというのが代表例だ。

 日本が戦争に巻き込まれる確率は何%か。徴兵される確率は何%か。もちろん、未来に起こるかもしれないことの実現可能性を正確な数字で示すことは困難だ。だが、徴兵される確率は10%か、30%か、50%か、70%か……などと具体的に考えてみることが、いたずらに不安が増大することを防ぐ。

 具体的な確率の根拠を提示することは学者らには不可欠だが、限られた知識しか持たない一般人なら主観で判断するしかない。それでも、日本が戦争に巻き込まれる確率は10%か、30%か、50%か、70%か……などと具体的に考えることで、冷静さを取り戻し、不安感などの情緒に流されることを抑止できる。ただし、冷静に見るようになると、感情の爆発による行動などには気軽に参加できなくなるかもしれないが。