望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

「干す」という悪習

 タレントを縛りつけて収奪する芸能プロダクションの構造を分析した『タレント帝国』が刊行されたのは昭和43年(1968年)だった。著者は、女性誌の専属ライターとして芸能界の表裏に精通していた竹中労さん。当時、テレビ局や雑誌などにも強大な影響力を持っていた渡辺プロダクションを、誕生から成長までの歴史を詳述するとともに、タレント管理の実態や収奪のシステム、さらには違法性をどう、ごまかしているのかなどを暴いた。

 もちろん、ナベ・プロ側が黙って見ていたわけではない。同書によると、取材中「竹中労とそのスタッフに対して、ナベ・プロの“代理”と称する各方面から『取材中止の話しあいに応じてほしい』という申し入れが、くりかえして行われ、中には、金品の供与を露骨に切り出すものもあった」。

 そうした中で取材は続き、同書は刊行されたが、「当時、渡辺プロダクションは、まさにタレント帝国に君臨して、取材・出版妨害の工作すさまじく、やっと製本を了えた段階で版元は偽装倒産、ゆくえをくらまし、東・日販の取次ぎ拒否にあって、この書物はわずかに千数百部しか書店にならばず、“まぼろしのレポート”と消えてしまった」(『タレント残酷物語』竹中労著、1979年)。

 『タレント帝国』によると、戦前の芸能界ではマネジャーは番頭と呼ばれ、スターに従属する存在だったが、軍部の強大化とともに慰問団などを組織する芸能社が隆盛した。戦後は占領軍相手の芸能人斡旋を行う芸能社が続出して発展、テレビ時代の開幕とともに、スターとマネジャーの地位は逆転し、芸能プロはテレビ、映画、音楽界に強大な影響力を持つようになったという。

 テレビの出現以前は映画が大人気だったが、当時の映画界では5社協定なるものがあった。これは、映画会社から、自分の意志でフリーになった俳優、監督は、みせしめのため他社では使わぬという協定。映画会社が俳優や監督を抱え込んでいた時代の「わかりやすくいえば、離婚した妻は、前の夫がOKしなければ再婚できないという、ムチャクチャなオキテ」(『芸能界をあばく』竹中労著、1970年)だった。

 この5社協定の精神がテレビ時代の芸能プロにも受け継がれ、移籍や独立をしようとする芸能人に対しては「干す」ことが示唆される。そんな脅しは、人気芸能人を抱える芸能プロの顔色をうかがうテレビ局や出版社が、「干す」ことに協力することで現実味を帯び、成立する。

 「干す」という行為に加担するテレビ局や出版社は、芸能人の移籍・独立騒動を、事務所と仲直りして良かったねと“美談”仕立てやら、我がままを貫いて独立した頑固者と冷笑するとかの芸能ネタにしてしゃぶりつくすが、「干す」ことについては論じない。干されることがなければ、芸能プロの束縛から脱しようとする人が増えるのは確実だろう。

 やりたいことがあり、そのために最適な環境を求めるという芸能人なら、干されることに立ち向かって新しい路を切り開いていく覚悟もあるだろう。が、それまでと同じようなタレント活動をするつもりの芸能人なら、干されることは一方的に不利益になる。そんな芸能人は芸能プロに従属し続けていればいいだけだが、それは「干す」という悪習を支えることになる。