望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

ゾンビとパンデミック

 映画では、ゾンビに襲われ、噛まれた人は死んで、その死体はやがてゾンビとなって蘇り、人を襲う。生きている人間を食いたくなるのがゾンビだという設定で、物理的にゾンビの体(死体)を破壊しなければゾンビは活動し続ける。人々は次々にゾンビに襲われ、ゾンビが増殖する中でパニックに陥る人々が映画では描かれる。

 なぜ死んだ人がゾンビになるのか明確な説明はない。ゾンビに噛まれると何らかのウイルスか細菌など病原体に感染するともいうが、ホラー映画なので、あまり明確な説明はない(パニックで大騒ぎすることを観せることが眼目なので、現実的に辻褄を合わせすぎる必要はないだろう)。

 ゾンビの恐怖とは、ゾンビに襲われて殺される恐怖だ。殺されても仕方ないが、自分がゾンビになることは嫌だなどと恐れる人はいないだろう。ゾンビになって蘇っても、それは死体が動き回っているだけで、生前の意識との連続性は絶たれているので、生きている人間とは別種の活動物になる。死んでからゾンビになろうとなるまいと、当人の感知するところではない。

 ゾンビにならないためには、ゾンビに噛まれないことだ。密閉空間にゾンビと一緒に閉じ込められたなら最悪だ。野外でもゾンビが近くにいると危ないから、ゾンビと距離をとって離れる必要がある。ゾンビと同席して飲んだり会話をしたりすることは、いつゾンビに襲われるか分からないので危ない。ゾンビ対策にも、3蜜を避けることは有効だ。

 ゾンビに襲われた人がゾンビになるという構図は、感染症といえる。噛まれるという接触によってうつるのだから接触感染の典型だ。空気感染や飛沫感染の心配はない。映画では、空気感染で登場人物がゾンビに突然なるという演出では唐突感が強く、観客を納得させられないだろうから、人が襲われて接触感染でゾンビになることは好都合の設定だろう。

 ゾンビが現れ、次から次とゾンビが増えている街はゾンビの感染爆発=パンデミックだ。このゾンビのパンデミックに対する対応は、感染源=ゾンビを撃退するしかない(予防のためのワクチンは存在しない)が、相手のゾンビは死体が動いているのだから、破壊するしかない。そうした破壊行動を映画は描くが、それは相手が死体で、破壊する以外に生きている人間が助かる道はないのだと正当化される。

 このゾンビのパンデミックが起きたなら、人は政府や自治体の対応を待っている余裕はない。自分の身を守るには、自分がゾンビと闘いつつ、ゾンビを全滅するか、ゾンビがいない土地へ逃れるしかない。ゾンビという感染源に対する闘いは、相手が見えるので、倒すべき対象をキャラクター化することができ、映画には好都合な敵役となる。