望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

不安と確率

 目の前に1個のサイコロがある。サイコロを振らなければ殺され、サイコロを振って、例えば5が出れば解放されるが、5以外だと殺されるという状況にあるならば、ほとんどの人はサイコロを振ることを選択するだろう。

 そういう状況では、サイコロを振らなければ殺される確率は100%であり、サイコロを振って5が出る確率は6分の1(約17%)で、その確率は殺されない確率である。サイコロを振らずに殺されるよりも、殺されない確率が少しでも高いほうを誰もが選ぶだろう。

 反対に、サイコロを振らなければ殺されないが、サイコロを振って、特定の目が出れば殺されるという状況ならば、ほとんどの人はサイコロを振らないだろう。サイコロを振って特定の目が出て殺される確率は6分の1(約17%)だが、サイコロを振らなければ殺される確率はゼロだから、生き延びたいと思うなら選択は明確だ。

 現在という時間の先にある未来は、数秒先、数分先であっても人は知ることはできず、未来を人は確率で判断するしかない。だが、サイコロの出る目の確率なら明確だが、世界の大半の出来事の生じる確率は定かでない。不確定要素が多すぎるからだ。

 禍をもたらすような出来事が起きることに対して人は、起きて欲しくないと願いつつ、もし起きたならばと不安を持つ。起きないだろうと思い、忘れることで日常生活の平安が保たれるが、いざ、そうした出来事が起きると、不安が増すばかりで、時には不安にかられて右往左往したりする。

 不安が増すのは、起きていることの細かな情報が多すぎる一方、次に何が起きるかについては悪い事態を強調して危機感が煽られることも影響する。最悪の事態を想定して対策を考えることは組織にとって必要だが、最悪の事態になる確率を明示することが浮き足立たないためには必要だ。

 禍をもたらす出来事が起きている時、さらに悪くなるとすると、どういうことが起きるのか、その起きる確率はどれくらいか、それらを知ることで過剰な不安を抑え、より現実的な対応ができよう。

 不安を判断の根拠にすると、例えば10%の確率で起きる悪い未来に怯え、何も起きない確率が50%だったとしても、不安に突き動かされる。確率を見れば冷静な判断ができやすくなろうが、メディアを含め、提供される多くの情報に確率が明示されていないことが多すぎるのが現実だ。確率を考えずに、悪いほうへと考えや見方が傾くことは浮き足立つことを助長する。