望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

仮説と検証

 テレビやインターネット、新聞、雑誌などに大量の通信販売の広告が溢れている。それらの広告を出した後、各社は、どのような商品が売れるか、どのような見せ方が効果的か、どのような説明が効果的かなどを常に検証して、顧客のレスポンスがいい商品や訴求法へ改良を続けている。

 通販会社にとって、顧客からの注文が増える商品や訴求法が「正解」であるが、それは広告を出して顧客の反応を試してみなければ分からない。過去の経験から各社は、売りたい商品を選び出し、見せ方や説明などを工夫し、これで売れるだろうと広告を出すが、売れ筋は常に変化している。

 通販は、「これで売れるだろう」との仮説に基づいて広告を出し、顧客からのレスポンスという結果を検証して、修正を加えて新たな広告を出す。仮説と検証を繰り返す商売だ。仮説は言い換えると、見込みだ。これは売れる、これは当たると見込むことは商売人なら皆行うだろうが、結果に基づいて素早く修正することを皆が行っているわけではない。

 政治の世界でも、仮説と検証は重要だ。主権者は、良い結果をもたらすだろうと見込んだ政党に政権を任せ、その結果を検証して次の選挙での判断材料にする。ただ現実には、各党の政権運営能力に差があって、政権を任せることが可能な政党の選択肢は限られ、選挙で政権交代を繰り返すことは実現していない。

 政党は、主権者の支持を見込んで公約を策定し、選挙で勝って政権を担ったなら、現実政治の中で公約の実現可能性を検証し、次の選挙で修正した公約を提示する。ただ現実には、政党の公約に継続性は希薄で、選挙ごとに公約を制定したり、選挙直前に急いで公約を制定したりする。政党には仮説(公約)はあるが、検証が乏しいように見える。

 仮説と検証が厳しく行われているのが科学の世界だろう。仮説が観察結果や実験結果により裏付けられたり否定されたりして、やがて新たな仮説が提示され、それも検証されるという繰り返し。仮説も検証も広く共有されることが前提なので、表現は合理的な説明となる。

 仮説を立てることは誰にでもできるが、主観に偏ったり、過大な期待を含めたり、善悪や正邪などの価値観に影響されていたりと仮説の質はまちまちだ。正しい仮説(適切な仮説)であってこそ、検証する意味がある。正しい仮説とは、客観的な検証に耐えることができるものと見ると、仮説は提示された瞬間から試されている。