望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

温暖化論の不都合な真実

 温暖化が進行すれば地球環境が大きく変化して様々な災いを惹起するとの焦燥感や、温暖化の進行を止めなければとの使命感などに支えられてか、米国のパリ協定からの離脱は「正義」に背くものと糾弾する雰囲気が漂う。温暖化論は科学的な仮説であるが、世界規模で温暖化対策事業が立ち上がっているので、仮説を押し通すには「正義」を振りかざすことが必要になるのかもしれない。

 パリ協定は各国が温室効果ガスの排出削減目標を自主的に決めて、世界の総排出量を削減しようというもの。温暖化による地球環境の危機が差し迫っているなら、各国に排出量削減を強制し、世界の総排出量を減らさなければなるまいが、そうなるとパリ協定に参加しない国が続出するだろうから、削減目標は各国が自主的に決め、相互に見守ることにした。

 だから、自主的な削減目標といっても、実際には排出量を減らさない国が含まれる。例えば、世界最大の温室効果ガスの排出国である中国。「発展途上国だから」と排出量規制に加わることを拒否し続けていた中国がパリ協定に参加したのは、実際には削減せずに増やすことを自主的な削減目標として掲げ、それが容認されたからだ。

 排出量は増えるのに温暖化対策に積極的であるかのように装うことができたのは、単位GDP当たり排出量という新たな概念を利用したから。これは、GDP1ドル当たりの排出量という考え方だから、GDP1ドル当たりの排出量を半減したとしても全体のGDPが2倍以上になれば排出量は増えるというカラクリ(GDP統計が操作されずに、正確に発表されるかしら?)。

 中国の自主目標は、2030年までに単位GDP当たりのCO2排出量を05年比で60~65%削減するというもの。中国の経済成長はまだ続くとみられているのでGDPの数字は増え、排出量は全体として増え続けるだろう。こんな中国を容認するパリ協定を、温暖化の進行を止めるための切り札であるかのようにもてはやす国際社会……温暖化の進行を止めるべきと真剣に考えるなら、実際に排出量を減らさなければなるまいに。

 さて、CO2などの排出量を減らせば温暖化の進行は抑制されるのだろうか。様々な気象データから温暖化傾向にあることは確からしいが、CO2排出量を減らせば温暖化の進行は止まるのか仮説の壮大な実験といえよう。さらに温暖化論には不都合な真実が多々あるが、懐疑論だとして「正義」に反すると十把一絡げに排斥される傾向にある。

 パリ協定の自主目標を各国が達成したとしても温暖化の進行が止まっていない場合には、きっと、すでに排出されたCO2などが大気中に大量に蓄積されているので、削減効果が現れるには時間差があるなどと世界は煙に巻かれたり、世界のどこかで大規模な火山の噴火があって大量の火山灰が放出されれば、多大な温室効果をもたらすだろうから、各国の削減努力がスポイルされる可能性もある。

 温暖化論議の最も不都合な真実は、科学的な論争が政治・経済的な論争に変質していることにある。科学では仮説は様々な視点から検証されなければならないが、政治などが絡むと、検証そのものが批判されたりする。だから、そうした批判を支える「正義」の装いが必要になる。なお主要な温室効果ガスであるCO2の国別排出量(2013)は中国が最も多く28.0%を占め、次いで米国が15.9%、EU10.4%、インド5.8%、ロシア4.8%、日本3.8%などとなる。