望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

分断と暴力

 ブラジルで議会や大統領府、最高裁判所をボルソナロ前大統領の支持者たちが襲撃、侵入して内部を破壊した。昨年10月の大統領選挙で再選を目指したボルソナロ前大統領は僅差で敗れたが、電子投票で不正があったと主張して敗北を認めず、熱狂的な支持者らも敗北を認めず、各地で抗議活動を展開していた。

 右派のボルソナロ前大統領は選挙戦で対立候補の左派のルーラ氏を共産主義者だとか犯罪者(ルーラ氏は汚職容疑で収監された過去を持つ)だなどと激しく批判し、対立や不安を煽ることで支持を固めてきた。支持者間の衝突も起き、死傷事件も起きていた。相手を激しく批判して対立を煽る選挙手法は特に当選者が1人という選挙戦では激しくなる。

 米国でも2001年に議会に対する襲撃が起きていた。再選を目指した大統領選で敗れたトランプ前大統領は選挙に不正があったと主張して敗北を認めず、熱狂的な支持者も同調して抗議活動を展開、選挙結果を正式に確定しようとしていた連邦議会の議事堂を襲撃して内部を破壊した。下院特別委員会は最終報告書で、トランプ前大統領が支持者の暴挙を扇動したとして刑事責任を問われるべきとした。

 トランプ前大統領は分断を煽る手法で支持を拡大してきたとされ、米国社会における分断の先鋭化は深刻な問題だとマスメディアなどで論じられた。その論調は社会に分断があることは憂うべきことだとし、分断を煽るトランプ氏の攻撃的な手法を批判するものだった。だがね、分断を嘆いで見せ、寛容の精神などを説いてみせたって分断が存在する現実社会に対する説得力は乏しいだろう。

 「和を以て尊しと為す」の日本社会では分断は良くないことと思い込んだりする。だが、日本を含め人間社会では分断は存在するのが自然だろう。分断が存在しない(あるいは分断が隠蔽される)社会は存在したが、それは軍部や独裁権力が強権統治する社会だった。主権者の自由な意思表示に基づいて構築される民主主義社会では、時には多様な意見が衝突して分断が生じるのは避けられまい。

 「和を以て尊しと為す」とは、当時の人々が和を尊んでいないから発想された言葉だろう(人々が和を以て尊んでいたのなら、わざわざ和を強調するはずがない)。和に重きを置きすぎると、分断や意見対立などを否定的にとらえたりする。人々が自己主張する社会に分断が存在するのは当然だと考えれば、分断を嘆いて見せる言説は空論でしかない。

 問題は、分断が暴力につながることだ。ブラジルや米国のように特定の主張の熱狂的な支持者は対立相手側の主張を聞く耳は持たないだろうから、対話は成り立たない(過激な環境活動家とも対話は成り立ちにくい)。マスメディアは党派色を帯び、第三者的な仲介者として対話を促す機能は損なわれている。分断を対立や暴力に発展させないための新たなシステムの構築が必要だが、対立の中で誕生した大統領などの権力者に、相互理解や寛容を促すシステムの構築は期待できまい。

鈍感なのは誰か

 こんなコラムを2000年に書いていました。

 森氏が首相に就任した日の夜、11時過ぎから記者会見が始まり、NHKが中継していた。どんな「失言」をするのかと見ていると、手元の分厚い資料をしきりに見て、読んでいるだけのことも多かった。

 印象に残ったことが一つある。それは、派閥均衡の組閣だなどと派閥に関する質問が出た時、森氏は「派閥というのはなくなった。今あるのは政策グループだ」と答えたことだ。政策を勉強する仲間の集まりだとか、政策的に同調する仲間の集まりだとか森氏は強調していた。

 この森氏の発言に記者側から「派閥ではなく政策グループだと言うなら、森派と呼ばれる政策グループの政策面の特徴、独自性は何か」との質問が出ると期待したが、出なかった。

 小渕派、加藤派、亀井・村上派などと「政策グループ」が現に自民党にあり、森氏の説明を信じるなら、各派は政策的に同調できないから分かれているはずだ。とすると、各派(グループ)には政策の違いがあることになる。「政策グループ」論に従うなら、各派の政策の違いを説明できなくてはならない。

 派閥が政策グループなどではないことを政治家も記者も知っているから、森氏の言にも、「また建前を言っている」と聞き流してしまったのだろう。しかし、これは記者側のミスではないか。会見で言っていることに、ほころびが少しでも見えれば、見逃さず突つくべきだろう。別の見方をすると、政治部記者が政策について政治家に質すということをしていないから、会見などで咄嗟に質問を思いつかないのかもしれない。

 派閥が本当に政策グループだとしたら、派閥の長をかついでの総裁選は政策の争いの色が濃くなり、結果次第では党分裂ということも起こり得る。また、政策面での違いが生じたことを理由に議員の派閥移動が珍しくなくなるはずだ。

 森氏の「ウソ」に記者は鈍感だった。  

三国人

 こんなコラムを2000年に書いていました。

 石原都知事陸上自衛隊駐屯地の式典で「大震災の時に、凶悪犯罪の多い三国人が騒憂事件を起こすから、自衛隊に治安出動してほしい」と述べたそうで、三国人外国人差別の発言であると批判が集まっている。しかし、関東大震災三国人が事件を起こしたかのような決め付けに批判はなかった。誰が殺されたのか。

 竹中労氏の「大杉栄」(ちくま文庫)によると、黒龍会内田良平が震災後の状況について「警察官が大道を疾駆して、“鮮人の暴行に対してこれを殴殺するも止むを得ぬ”などと声言して廻り」「2日夜陰に入り、“鮮人二千ほど大崎方面より押し寄せ来るべし、得物を以て、これを警戒せよ、斬り捨つるも可なり”と警官、憲兵は自動車、自転車にて街路を疾呼し去る。ために市民は驚愕、結果同夜より自警団は現出したるなり」としている。

 「自衛隊は軍だ」と石原氏は言い切ったそうだが、それは正しい認識だ。歴史を見ると軍隊というものは自衛を口実に動く。敵を設定して、不安を煽り、自らの行動を正当化する。治安出動も同じだ。ただし、現在の自衛隊をして当時の陸軍と重ねあわせるのは無理があろうし、宝石店強盗や蛇頭絡みの事件をして在日外国人(不法入国であれ)の一般的な行動だと見なすのも飛躍のしすぎだ。

 今回の発言で石原氏が関東大震災後の状況について正確とは言い難い片寄った見方をしていることが明らかになったが、もう一つ、石原氏の意識の中に大杉栄がいないということも明らかになった。大杉栄が意識の中にいないとは、個人の自由な精神、その発露としての自由な行動への理解に欠けるということ。

緩慢な自殺

 こんなコラムを2000年に書いていました。

 少年の凶悪犯罪が続発している。少年の凶悪事件といっても豊川市の殺人やバスジャックと、愛知での5000万円強奪や埼玉でのリンチ殺人、女性の耳切り落としを同列に論じることはできまい。前者は誰でも被害者に成り得た無差別殺人だが、後者では、被害者は「選ばれた」、別の言い方をすると目を付けられたのである。

 後者では、加害者が自らの欲望を満たすために犯罪行為が行われた。欲望とは金銭欲などとともに、ムカツクから**を痛めつけるといったことを含む。つまり、これらはいつの時代でも起こる犯罪であり、人間が社会生活をする限り、なくならないだろう。こうした犯罪の防止策を考えるなら、加害者の「異常性」を探すのではなく、加害者を取り巻く人間関係の有り様を調べることがスタート点となろう。また、少年法などを厳しくして効果があるとすれば後者のケースだろう。

 前者の場合は、いじめなど様々な要因が積み重ねられて犯行に至ったと見ることもできようが、むしろ、犯人が自己を含め全てに否定的になった結果の緩慢な自殺のようにも見える。社会での自分の居場所が見えなくなって(或いは、居場所がないと思って)、家出をすることもできず(家出もせず)、自暴自棄となって行った行為であるようにも見える。少年法を厳しくしても前者のような事件は、減りもしなければ増えもしないだろう。

 家出して都会のどこかに居場所を見つけた連中はともかく、家庭にも学校にも居場所がないと感じている少年らは、家庭や学校に背を向けることで自分を護ろうと自分の世界を作り、そこでの妄想を現実社会に投げ返す。見ず知らずの他人に惨いことができたのも、他者の痛みへの想像力の欠如ではなく、彼らにとっては自分があるだけで、他者はまだ存在していなかったからだ。

なんとかなる

 ウクライナにとって2022年の2月23日は戦前だった。翌24日にロシア軍が侵攻を開始し、ウクライナは戦中となった。ロシアが軍を引き上げる気配は見えず、和平に向けての動きは双方に希薄で、和平を促す調停者(国)も現れない。ウクライナにとって戦後がいつ始まるのか全く見当がつかない状況だ。

 戦前とは戦争が開始される前の期間であり、戦争が終わった後が戦後だ。戦争が始まった時に戦前が終わり、戦争が終わった時から戦後が始まるのだが、世界では戦争が絶滅したわけではないので、一つの戦争が終わった時に戦後が始まる。それと同時に新たな戦前が始まる。戦前と戦後は重複しているのが世界の現実だ。

 例えば、イラクは1990年8月2日にクウェートに侵攻したが、1991年1月17日に多国籍軍イラク攻撃が始まり、同年2月28日に米国大統領が停戦を宣言し、湾岸戦争は終わった。イラクは2003年3月20日から米国など有志同盟軍の侵攻を受け、同年5月1日に米国大統領は戦闘終結宣言を行った。イラク人による正式な政府が発足したのは2006年で、米軍が撤退したのは2011年12月。

 イラクにおける戦前と戦後は入り乱れ、サダム・フセインによる強権統治の終了後は武装組織によるテロも頻発するなど、イラクの人々にとっては戦中が続いていた感覚かもしれない。次の戦争がいつか始まるという世界では、戦前とか戦後という実感は希薄で、戦中と戦前があるだけかもしれない。

 自衛以外の戦争を放棄した日本では第二次世界大戦終結から戦後が続いている。自衛以外の次の戦争は許されないという建前なので、戦前と戦後は明確だ。だから「今は戦前だ」などと危機感を煽るタレントの発言が注目されたりする。戦後という概念は日本では特別な意味を有するが、日本以外の国ではおそらく特別の意味も価値も持たない言葉で、戦前と戦後の区別などは曖昧だろう。

 世の中が悪くなっているとの見方が年配者から示された場合、それが客観的な判断によるものか、加齢に伴う悲観的な感情によるものか見極めが必要だ。若い時には世情に関わりなく好きなように振る舞っていた人が、加齢とともに世情を憂いたりするのは珍しいことではない。悲観的な見方は老いの表れの一つだと見なせば年配者の世情を憂うる発言は割り引いて聞いておくべきか。

 「世の中は悪くなっている」などの発言は昔から多くの人々が繰り返してきた。危機感を煽ることで自分の発言の重みを増す狙いだったりもする。危機感を煽る言説に共通するのは情緒が優先することで、客観的な検証などは忘れられる。そうした危機感を煽る言説に惑わされないための手っ取り早い対応は「なんとかなるさ」とつぶやくことだ。世の中は悪くなっている? なんとかなるさ。

植民地と侵略者

 こんなコラムを2000年に書いていました。

 オランダを訪問した天皇を迎えたベアトリックス女王夫妻主催の晩餐会で、「今なお戦争の傷を負い続けている人々のあることに深い心の痛みを覚えます」などと述べた天皇に、女王は「多くの人(オランダ人)がその体験を引きずり続けています」「私達が共有する歴史の辛い一章から目をそむけてはならない」などと述べたそうだ。

 元抑留者の団体が日本政府に対して賠償請求訴訟を起こしているそうで、彼らの反日感情はかなり強いそうだ。ただオランダでは、抑留者が100%被害者なのか、なぜオランダ人が現在のインドネシアにいたのかーなどという視点からの議論も出ているそうだ。

 戦前の日本の国家体制は批判されなければならないが、抑留者の恨みの大本は、現インドネシアの植民地支配を巡る日本、オランダの帝国主義の戦いでオランダが日本より弱かっただけのことで、道義的に日本がオランダより劣っているとはいえまい。道義を持ち出すなら、どっちもどっち、か。

 オランダ人が一方的に被害者を演じて日本批判することが、第三国からはどう見えるのだろうか。

 インドネシアで、政情が落ち着いたなら、インドネシア人を含めてシンポジウムを開いてみたらどうか。「インドネシアにおける植民地支配の時代」のテーマで、オランダがインドネシアインドネシア人に行ったこと、日本がインドネシアインドネシア人に行ったこと、日本がインドネシアでオランダ人に行ったこと、オランダがインドネシアで日本人に行ったことについて、それぞれ検証すればよい。

 日本は欧米に倣ってアジアで植民地支配を行ったが、19世紀、20世紀の植民地支配について根本的検証を行うなら、日本を含めて各国の歴史が「公式」のものとは少々違った具合に見えてくるだろう。

 その第一歩は日本自らを厳しく検証すること。それでこそ歴史の再検証を呼びかける資格が生まれる。えっ、それじゃ無理だって? そうか。それじゃ、各国の戦争体験者が死ぬまで日本は「おわび」し続けるのか。

広告ジャケット

 こんなコラムを2000年に書いていました。

 都バスの装いがずいぶん変わってきた。前面部を除いて全身「広告塔」になってしまった。一台一台がそれぞれのスポンサーに合わせて装われているため、見かけるたびに、ある種の新鮮さがある。最初は違和感があったのだが、毎日のように様々のデザインの都バスを見ているうちに、面白いじゃないかとの気持も出てきた。寄席での小咄に、あまり美しくないが持参金付きの女と結婚した男を冷やかすと、「ブスは三日で馴れる」と答えたというのがあるが、バスも三日で馴れる?

 公共交通機関の車体をほぼ全面、広告媒体にするということは、考え方としては公共サービスも「商売の種」にするということ。コスト意識導入ということなのかもしれないが、発想が一歩踏み出したということは確かなようだ。別の見方をすると、東京都の財政逼迫が具体的に現れたともいえそう。

 そこで考えたのだが、バス車体広告の発想をもっと展開させてはどうか。都営地下鉄や都電のみならず、都の職員も活用するのだ。背広の代わりにスポンサー付きのジャケット、ジャンパーなどを着用させるのだ。都庁に通う人数だけでも相当になるだろうが、各地の都の事務所に務める人数もかなりになろう。

 それらの人々に、例えば背中に会社名なり商品名なりが入ったジャケットを着せることができるなら、結構なPRになる(はず)。道路を走っているだけの都バスと違って、こっちは、電車にも乗るだろうし、住宅街も歩くだろうし、盛り場をうろついたり、酒場にも現れるだろうから、PR効果は結構ありそうだ。もちろん都知事の広告ジャケットは別格、特別料金となる。